200号のあゆみ 利用者、保護者、所長 それぞれの思いや思い出

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old_ayumiあゆみだより第1号は「あゆみ」という題名で昭和46年、施設開設の年に発行されました。

当時は、利用定員35名で幼児25名、成人10名の施設でした。
この年に生まれた人は今年43歳ですから、あゆみの家の職員の多くはまだ生まれていません。
200号までの足跡を主な記事で紹介しようと思いましたが、とても1回では紹介できません。

そこで今回は100号までの記事からいくつか紹介します。
この時期には通所者本人が原稿を寄稿していました。

本人の思い

よろしくおねがいします!

あゆみの家に4月から入所できると 聞いた時は、とてもうれしく思いました。
あゆみに来るまでは20数年間、どこへも行ったことがありませんでした。
自分は体がきかないのだから、外に出られないのは当たり前なんだと、あきらめきっていました。

でも、時々は近所の子供たちのはしゃいでいる声を聞くと、自分も歩けたらどんなにいいだろうと思ったことも、なんどもありました。
たとえ外に出られたとしても、私はいつも、足のかわりに三りん車とか、ほじょつきの二りん車がくっついていました。
だから、みんなが、とんだりはねたりあそんでいるのをはなれた所から、ながめているだけでした。

でも、あそんでいる人たちを見ながら、私もいつかは、同じになる日が来ると夢見ていたものです。
そんな私でしたから、長い間、自分のからにとじこもっていました。
でも、あることがきっかけでアタック会というしょうがい者の会合に出るようになり、そこで知り合った友だちに、あゆみの家に見学に行こうとさそわれました。これがあゆみに行くようになったきっかけとなりました。
これからは、心にのこる楽しい思い出を仲間たちや先生といっしょに作っていきたいです。
どうぞ、よろしくお願いします。

(60号:昭和52年5月)

あゆみを卒業します

あゆみの家に入所して早くも4年になります。入所した頃のあゆみは、まだ少人数で建物も小さいものでした。その頃は、ゆとりがあり、わきあいあいとしていました。時間に追われて1日をすごしてはいなかったはずです。

新しいあゆみの家ができて、人数も多くなり友達も増えて楽しくなりました。個性に富んでいる人ばかりなので職員も飛びまわっています。今のあゆみの家は、ゆとりがなくなったようです。木にたとえれば若木から大木に成長したので、それだけ風あたりもきびしいのはわかりますが、時間に追われてすごす、そんなところにしてほしくありません。

あゆみに入って一番印象にのこって いるのは、初めて2泊3日で行った海です。海は生まれて初めてなのでとても楽しかったです。2泊目の夕暮れ、3人で空を見ながら飲んだビールの味は、わすれられません。

原稿はこれで3回目ですが、うまく書こうとは思いません。ぼくは、できもしないのに大きなことを書くのは嫌いです。すべては毎日をどう生きたか、その人の生き方ではないでしょうか。職員の皆さま、長いこと、ありがとうございました。

(83号:昭和55年3月)

保護者の思い

生きる喜びを

あゆみの家に通所し始めてから半年が過ぎようとしています。中学校を卒業する段階で次につながる学校がない、施設がない、ということで不安な日々を過ごしたことが思い出されます。ハンディを背負っているが故に進路を考え、選びたいと願っても現実の社会の中では難しく無理です。唯一つ受け入れられる施設を与えられたことは幸せとしなければならないのが現実なのです。

障害が重複しているから、設備が不備だから等の理由で見放され、親の犠牲と家族の責任で細々と養育されている在宅の子供達、すべてを対象とした福祉行政サービスが欲しいです。どの子供達にも生きる喜びを与えてほしいのです。

ハンディを持った子供達。でも人間として生きているのです。私達は、子供達にかわって発達に必要な豊かな条件を作るためにも頑張りたいと思います。制度や施設の条件を優先させ、それに会う子供だけを扱うのではなく「子供に合わせた施設を作る」このことが実現される日をめざして、長い困難な道を子供達と あゆみ続けなければと思います。

(23号:昭和48年12月)

父への手紙

前略 季節の変わり目の不順な天候が続く毎日ですが、お元気でお過ごしの ことと思います。さて、○○ですが、お知らせしたとおり4月から1日おきにあゆみの家に通っています。今のところまだ時間も短く、母子共々慣れることで 精一杯です。歩くという難事業を果たす前に水頭症という重い荷を背負って生れ出た我が子は、度々の手術に、まず生きることの方が大切な今まででした。まして、公共の訓練施設になど、考えが及ばない私達でもありました。

でも、これからの私たちは、一歩でも 前進するため頑張りたいと思っています。この頃の○○は、一人でお座りができたりして、集団で過ごすことにも慣れてきたせいか、精神的な発達も目ざましいものがあり、本当に楽しみです。

一人で座るところをおじいちゃんにも見てもらいたいので、近いうちお邪魔するつもりです。○○が生まれた時は、私を不憫がって、私のために涙したお父さん。でも、何とか育つと分かってからは、いつも遠くで私たちに心を配ってくれましたね。親って本当に有難いものと口では言えぬ感謝の念で一杯です。

これからは、○○が自力で歩くところを見るまで、どうぞいつまでも長生きしてくださいネ。では、お目にかかれる日を楽しみに。

(39号:昭和50年5月)

思い出

あゆみの家に通所し始めて2年間、ここでの楽しい思い出が、昨日のことのように思い起こされます。不安と期待で初めて登所した日、初めて見かける小さな子供たちの顔々。5月の晴れた日の野川公園の目にしみるような緑や夏の塩見での合宿、運動会に芋掘り等。○○は、どんな思いでこれらの行事に参加した のかはわかりませんが、頬を撫でる風のやさしさや空気のさわやかさの、いつもと違うことは、きっとわかったことと思 います。もともと障害の重い○○にとってこの5年間がどの程度プラスになったのか、わかりませんが親の方が随分と教えられることが沢山ありました。

本当なら可愛い盛りの1歳前後にハイハイさえできず、口もきかない子供で口には言えない引け目を親類や近所に感じて、他人を羨む毎日でした。通所生活を続ける中で、「悩み苦しみ、重い十字架を背負っているのは私たち親子だけではない、皆、多かれ少なかれ悩みを持って通っている」そう思えるようになってから、どこに行くにも連れて行き車イスごとに店の前に出し、日向ぼっこをさせることにしました。近所やお客さんが声をかけ、やがて○○の顔にも笑顔がよく見られるようになりました。

(68号:昭和53年3月)

四季折々の行事

運動会

夏休みが終わり、第1回あゆみ祭も、無事成功して、10月にはあゆみの家の大きな行事のひとつ、運動会も西落合グランドで開催されました。秋晴れの気持ちの良い天候に恵まれ、広々としたグランドで皆、のびのびと競技に参加して、とても楽しそうでした。

○○は、今年で2回目、何とか競技には参加できましたが、草むらで遊んでいる方が楽しそうでした。

子供よりも私の方が騎馬戦にまで出たりして主人に「張りきっていたなあ」などとからかわれたりしましたが、幾つになっても運動会っていいものですね。○○だってきっと、心の中に思い出となって、刻まれていると思います。

(65号:昭和52年11月)

あゆみ祭レポート

11月16日に開催された“ あゆみ祭 ” は、かなり寒くブルブル震えるようなあいにくの天気でしたが、地域の人達、近隣の子供達、関係団体、ボランティアを交えて盛大に行われました。

中庭の「ちびっこ広場」ではカラフルな民族衣装のお兄さん、お姉さん達が、華やかなダンスを披露。軽快なリズムに乗って、みんなで手に手を取って輪を作り、一緒に踊ったり、ダンスを教えてもらったりの交流でした。中には足を絡ませて転ぶ人あり、夢中になって一人で踊りだす人ありで、まるで多元同時生中継を見ているようなにぎやかさ。そして、プレゼントをもらって第一部は終了。

第二部の「ふれあい広場」は、みんなで歌を合唱しての幕開け!かわいい動物達が登場した人形劇は、子供達が大喜びで盛んな声援でした。絶世の美女によ るマジックショーでは袋の中から見事 変身し、みんな目をパチクリ!最大の盛り上がりは、なずなの会ズッコケ劇で、舞台狭しと大暴れで、ヤジと拍手が飛び交い場内は爆笑の渦となりました。

室内の「今、障害者は…」のパネル展示では、関係者や学生が熱心に見入り、一般の方には遊具や自助具の展示、各施設で作った作品の展示や実演、販売コーナー(ローソク等)が好評でした。

(88号・昭和56年1月)

所長の思い

福祉の願いとは

日頃、このような仕事をしていると障害者の方や家族の方々の心は痛いほどよくわかります。

一つ一つの福祉施策の上積みや改善 には強い関心を持つのは当然のことで あり、昨年よりは今年はこれだけ向上した、さらに何年後はどうなるだろうという視点等…。だが、私達は福祉の問題を目先の受益に関わる「もの取り」の枠にしばりつけてしまう罠に陥らないかと何か不安に思うことがあります。

給付や受益の改善を軽視することは慎まなければならないが、日々子供達の無心な表情に接していると、障害者福祉の願いとは、この子たちの心がいつまでも曇ることがないよう、すべての人々の心を耕すことからまず出発しなければ 表向きのつくろいに終わってしまうような気がしてなりません。福祉とは、行政の管理的発想や組織や、また個人のたたかいによって、連帯感を求めようとしても中々無理のような気がします。

やはり福祉とは、人々の心が土壌となり、人間の復権をそれぞれの立場で問い続けながら理解しあって、遠い道のりを一歩一歩、歩いていくものではないかと思います。

(41号:昭和41年7月)

3年目を迎えて

あゆみの家が新施設となって3年目を迎えました。本年度も昨年に引き続き、心身障害者施設としての基礎固めを進めていきます。まず、組織機構ですが、管理係、幼児指導係及び成人指導係の三係としました。

次に幼児につきましては…(略)…。 在宅障害児訪問指導については…(略)。 成人については、従来どおり各人の生活 をより豊かなものにしていくことを狙いとして実施してまいります。

養護学校の義務化とともに、卒後対策 の確立が最重点課題となってきました。 また、現在、都から区移管対象事業のうち懸案となっている授産場、福祉作業所及び生活実習所の受け入れ態勢の検討が部長会で行われています。

地域においては、肢体不自由児者父母 の会が「あすなろ印刷」を、手をつなぐ親の会では「あした作業所」を開設して自主運営をしております。

あゆみの家でもこれらの動向に呼応 して本年度は、特に成人対策の基礎資料とするため実施しております「心身障害者の実態調査」を早急に完結させたいと作業を進めています。

昭和56年は「国際障害者年」です。地域社会の中で、地域住民の心身障害者に対する意識の変革を求めながら、より幅の広い成人対策を組み上げていかなければとならないと考えています。

(78号:昭和54年5月)