我が街、落合 白と黒の不思議なお店

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落合南長崎駅から徒歩2分ほどにあるこのお店、誰が見ても小さな布屋さん。ところが、お店の看板には『黒と白・木版画』と大きく書かれています。でもアトリエや画廊に見えないお店ですが、ここは“地域のお宝”のお店なのです。

店に入ると壁一面に版画が並び、その狭間に遠慮がちに布団や寝具が申し訳なさそうに並んでいます。

店主は、岩崎浩三さんで父親の代からの布団屋ですが、岩崎さんにはもうひとつの顔があり版画で有名な棟方志功とも縁のある版画家です。だから作品が展示され、ここで版画地域の方に教えているそうです。

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「黒と白」のご主人

岩崎浩三さんは、西落合生まれです。西落合一丁目で25歳の時から父の代から続いている稼業の布団屋を46年間営んでいます。店内に版画を展示しているのは、家業と自分の生きがい、趣味を両立させたいと思ったからだそうです。お店は昭和3年建造、築後88年経つ古い建物で、猫地蔵で有名な自性院のすぐ隣ですが、戦時中この辺りは空襲の被害にあい自性院本堂も焼けました。また、近郊の目白文化村も空襲で大きな被害を受けました。
岩崎さんと版画の出会いは36歳の時、新宿区の美術講座で秋元清弘先生からデッサン、水彩画、油絵のご指導を受けるようになりました。年賀状を木版画で制作し面白くなりのめり込んでいきました。秋元先生が亡くなるまで17年間のご指導を受けました。先生の作品は力強く、明るい表現でした。尊敬する先生に導かれて、岩崎さんは版画と水彩画の両方を描いています。

もうひとりの恩師

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岩崎さんが大きな影響を受けた先生がもうひとりいます。この版画に描かれている平塚運一先生です。平塚先生は、版画家・棟方志功が師とあおぐ方で、102歳まで活躍した版画界の大家です。アメリカから帰国した時に5、6回ほど直接お会いしており、先生が100歳の時に岩崎さんがこの版画を彫りとても喜んだそうです。

日本の伝統文化

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この写真が岩崎さんご本人ですが、すぐ右にある作品は建て替えされる前の銀座の歌舞伎座です。多くの車の往来で建物全体が見えないので何度も足を運んで道路の向かい側に立って描いたそうです。 この絵は空と影の部分に、浮世絵でも使われる江戸時代から伝わる3色摺りの「金きら摺り」の技法を使っています。それによって明るい空の感じを鮮明に表現した作品になりました。この作品は、ロシアのウラジオストック連邦大学にも寄贈されました。 岩崎さんは11年前に脳梗塞になり入院しました。入院しても創作意欲は一向に衰ええず、色鉛筆を使いその日その日に出された病院食の絵を描きました。入院して3日目から描き始めました。入院して3日目から描き始めて1週間後にある程度まで回復しました。退院するまで3食毎日描き続けたそうです。最初は麻痺して上手く書けなかったそうですが、日毎に回復している様子が作品からもうかがえます。
“百聞は一見に如かず”、その経緯の詳細は機会あればお店に立ち寄ってご主人にお話を伺ったり、作品の実物を見て確かめて下さい。 最後に岩崎さんの創作への思いをお聞きしました。いわく…「秋元先生のいつも言われる『再現ではなく表現、対象とひとつとなりきる』ということを心に刻んで、一彫り、一彫り心を込めて制作してきました。先生の絵に対する厳しさ、真正面から取り組む生き方に接して、一歩でも近づければと思います。目標に向かって信念を持って努力すれば、必ず望みは適えられることをふたりの先生や版画を通じて出会った皆さんに教えていただき、本当に感謝の思いでいっぱいです。」

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わが町、西落合

岩崎さんは、西落合地区の風景の変遷を様々な水彩画、版画に収めており、店内にいると昭和の良き時代に戻ったような癒し気分に浸たることができます。
また、直接岩崎さんのお話をお聞きすることができると目白文化村含め落合地区の様々な文化や歴史のエピソードも聞くことができて、自然とこの町が好きになってしまいます。
我が街、落合のお宝、不思議な「黒と白」の世界をお近くに来る機会があったら、是非、触れてみて下さい。

  • 【目白文化村】
    大正から昭和にかけて存在した東京の代表的な高級住宅街の愛称。フランスのパリの街作りを模した田園調布に対してアメリカのビバリーヒルズの街作りに倣ったのが目白文化村。大正11年、下落合一帯の畑地や雑木林、原っぱだった田園地帯が開発されて高額で分譲され、高級な洋風住宅が並んだ。街の中には住民によるサークル活動や演奏会、映画上映会ができるクラブハウスを始めテニスコートや野球場、簡易スキー場まであって、当時としては類を見ないハイカラなコミュニティーが形成された。
  • 【平塚 運一】
    明治28年島根県松江市生まれ、19歳の時に画家をめざして上京。彫師の伊上凡骨に入門して版画の技法を習得。昭和37年に渡米して個展を開くとともに版画の普及に努める。病気で日本に帰国後も版画の普及に努め、棟方志功、菊池隆知など日本を代表する版画家を育てた。
  • 【棟方 志功】
    明治36年青森市生まれ、小学校卒で青森地方裁判所の給仕をしながら油絵を描き、ゴッホに心酔。大正14年に上京して平塚運一、川上澄生の影響を受けて木版画に進み、独自の世界を築く。自由奔放な作風で版画の大衆化や普及に大きな足跡を残した。