あゆみSTORY

ノーマライゼーションからインクルージョンへ②~街づくりの会から障団連、新障協へ~

あゆみの家を運営している社会福祉法人・「新宿区障害者福祉協会」(以下「新障協」という)は、経営理念に

①当事者主体のサービス提供

②地域社会での自立支援

③社会(地域)貢献

の3つを掲げています。今日では多くの社会福祉法人でこれと似たような理念を掲げていますが、新障協はこの言葉に法人の成り立ちや設立時の思いを込めています。今回は、それがどのようなものかを時代背景も紹介しながらとりあげます。

新障協は2001年に設立されましたが、法人設立の母体となった「新宿区障害者団体連絡協議会」(以下「障団連」という)は、障害者福祉センターが1985年に開設されたことにより、ここで様々な障害者団体の交流が始まったことを契機に1986年に結成されました。

街づくりの会や障団連が誕生した70年代から80年代の日本の障害者福祉といえば、施設への収容保護(入所施設)が中心で、障害者団体も施設の増設を訴えていました。しかし、北欧諸国やアメリカでは、在宅福祉が主流になっていて、障害者運動も施設解体が叫ばれていました。運動の推進力になったのが北欧で生まれたノーマライゼーションの思想でした。それは、障害者をノーマル(健常者に近い状態)にするのでなく、障害者の生活をノーマル(障害者が暮らしやすい生活環境や社会環境)にするという考え方です。それは、障害者を正常な状態から逸脱している人々ととらえて一般社会から隔離して施設に収容することへの批判となり、“施設から在宅へ”のスローガンの下で、地域福祉サービスを推進していくコミュニティケアの重要性が認識されていきました。

この頃、井口さんがリーダーとなって進めた街づくりの会や障団連の取り組みは、新宿区におけるノーマライゼーション実現への歩みと言っていいものでした。

70年代の街づくりの会の活動に参加していたのは、代表の井口さんも含め“中途障害者”でしたが、障害者福祉センターができたことで生まれながら重度障害を持つ人たちや重度の知的障害、行動障害を持つ人たちとの交流が始まりました。そこで井口さんは、今まで自分が見て考えてきた障害者福祉は“半分の光景”だったことに気づきます。あゆみの家の幼児部や新宿養護学校に通う障害児には、自分で意思決定や自己選択をすることが困難な人たちがいて、音声言語での意思疎通もできない中で、どうやって自分の意思を伝え、自分の希望する生活を作り、それに必要な支援を得たらいいのか、医療が進んだことで親よりも長生きするのが当たり前になってきたことで「親亡き後の問題」が深刻な問題になっていることも知りました。

そこで井口さんは、障団連の加盟団体の参加・協力を得ながら“3つの取り組み”を進めました。

ひとつは、文字どおり“当事者運動の立ち上げと活性化の取り組み”です。障害やライフステージに応じた地域自立に取り組む当事者団体として「新宿ふれあいの会」が発足します。ここで自立の学習会や先進事例の見学、当事者主体を運営理念とする福祉作業所づくりのための運動(署名運動等)を展開しました。“当事者主体”を実現するために従来の福祉作業所にない運営方法も考えました。作業所運営委員会に当事者が参加して、通所者が結論だけを伝えられる運営でなく、議論のプロセスに参加できるようにするとか、将来は障害当事者の職員採用もすることを想定して職員会議には障害者代表も参加する。作業所といっても作業だけでなく地域自立を目指した勉強会や啓発事業の開催や個人の自己実現のためのカルチャー活動の実施等です。将来の認可作業所の母体となる「ふれあい工房」ができて紙漉き作業によるハガキづくりに取り組みました。その実績が認められて2007年には障害者自立支援法の法内施設として「新宿トライ工房」になり、あすなろ作業所と事業統合して多機能型事業所になりました。

2つ目の取り組みとしては、社会経験が乏しく、家族介護以外の体験も少ない重度障害者がいきなり地域で暮らすことは難しいので、段階を踏みながら地域自立に移行できる支援場所として“地域の中に小規模のグループホーム、福祉ホームの建設を進めること”です。そこで親や家族を中心とした「地域自立を支える会」を立ち上げました。ここでも勉強会や交流イベント、署名活動を進めながら建築や介護、生活相談等の福祉専門職の方々の協力を得て建設推進委員会を立ち上げました。この活動を通じて障害児を持つ会員が自宅の改築を機に自宅を提供してくれて1991年に新宿区内では初めて4名の重度障害者が暮らすグループホーム「トークハイム」が誕生しました。このホームが先駆けとなって新障協設立後の10年間に2つの福祉ホーム(あじさいホーム、ひまわりホーム)と3つのグループホーム(ぽけっと、からふる、ぱれっと)が次々と誕生しました。そして福祉ホームから地域のアパートで独居生活に移行する人や結婚するためにホームから卒業する人も出ました。

3つ目の取り組みは、障害者福祉センターの運営の中に障害者の“「地域自立と当事者主体」の運営の仕組みを組み込んだこと”です。これも都内の障害者福祉センターでは画期的なことでした。例えば、相談事業に障害当事者が自らの体験を生かして行うピアカウンセリングを新設しました。また、短期入所の部屋の名前を「自立生活体験室」と命名して、緊急時や親の休息のため宿泊利用だけでなく、家族介護以外の介護に慣れることや障害に配慮した設備機器の利用体験、住宅改造の参考にするための生活体験、地域自立に向けた訓練のための利用も推奨しました。他にもセンター玄関の受付や清掃作業、設備点検業務は障害者の就労体験や就職準備の場にもして障害当事者が従事しました。講座・講習会もそれまで障団連加盟団体が取り組んでいたプログラムを取り入れて当事者ニーズを反映させていきました。

井口さんは自分ではペンを握れないので、私(矢沢)は勉強会の資料作りや役所の要望書、雑誌に寄稿する原稿の代筆を何度も頼まれました。時々自分の考えも伝えると「それいいね」とか「それも入れよう!」と言われて私の意見や考えも忍び込ませいましたが、そのうちに、どこまでが井口さんの考えで、どこが私の考えかわからなくなりました。その日の会合の顔ぶれや趣旨に応じて、たぶん今日はこんな話をするだろうとわかるようになりました。書き物なら“井口さんのなりすまし”ナンバーワンになれると思いました。そこで、この頃、井口さんが繰り返し強調していた印象深い話を紹介します。

 ひとは誰でも誰かの手を借りないと生きていけないという意味では障害者だよ。生まれて数年間は食事や入浴や着替え、移動や外出、何をするにも母親のケアを必要とするし、大会社の社長だろうと大学教授や弁護士、政治家も高齢者になると認知症や知的な後退、杖や車いすが欠かせない不自由さを抱えたり、食事や入浴、移動等の基本的な生活動作で誰かのケアを必要とする人がますます多くなるからね。それでもひとは自分らしく生きたいし、自分の人生のことは自分で決めたいと思う。そういう意味では障害者問題は誰にとっても他人事じゃないし、我が事なんだよ。だから、障害者が暮らしやすい社会は誰にとっても暮らしやすい社会というわけだね。

 障害者は障害年金や生活保護等、税金で食べさせてもらっていて、生産性は低いし社会のお荷物になっていると揶揄されることもあるけど、税金で食べているといえば皇族や公務員だって同じだろう。私は、我々障害者も十分に社会の役に立つことができると思う。社会の中で何らかの役割を担うことができて、誰かを励ましたり、ハッピーな気分にさせることはできると思う。実際、私は街の福祉の公務員で、自分の障害者としての経験を活かして、誰よりも当事者に寄り添った支援をする役割を担っていると思っている。肩書も身分保障もないけれど、そのために公費で活動費と家族の生活費をもらっている。そう思っているんだよね。

井口さんは、国際障害者年の理念であった「完全参加と平等」や1983年から始まった「国連・障害者の10年」の取り組みを自分の言葉に置き換えて、街づくりの会やふれあいの会、地域自立を支える会に参加している人たちに伝えていました。その思いは新障協の運営理念にも反映されました。

こうして2001年1月に法人設立の式典を開きましたが、その際に「法人の設立にあたって」という文書にまとめて区の幹部や区議会議員、社会福祉関係者、障害当事者に配布しました。長文ですが、こんな時代背景の中で誕生した法人です。

「21世紀を目前にして社会福祉は、今、大きな転換期を迎えています。それは、少子高齢化社会の到来、低成長下での財政難、福祉ニーズの多様化等の課題に対応するための抜本的な改革で『社会福祉基礎構造改革』の名で進行しています。

この改革の基本理念は、『利用者本位』、『自己決定と自己選択』、『自立支援』のキーワードによって表明されています。また、その前提として地方分権や情報公開、権利擁護の推進が不可欠とされています。これらの理念は、新宿区に住む障害者や家族が、長年の運動を通じて行政や地域に発信してきたメッセージと重なるものであり、これが新宿区の障害者福祉分野において本当に実現するなら画期的なことです。

しかし、この改革の突破口と言われる介護保険制度では、“保険あってサービスなし”といった事態や地域間格差の問題が懸念されています。また、こうした大きな改革では国民ひとりひとりにも意識改革が必要になりますが、それが困難な障害者も数多くいることも予想されます。従って、真の改革を実現するためには、障害者や家族、福祉関係者が力を合わせて主体的にこの改革に参画することが何より大切です。

その点、新宿区では本年7月に障害当事者を委員に含む新宿区障害者施策推進協議会が東京23区で初めて設置されます。その他に新宿区障害者団体連絡協議会の事業部では在宅障害者支援事業~自立生活体験室、ショートステイ、レスパイト事業、給食・入浴サービス~や障害者自立生活支援事業~障害当事者による相談事業、創作活動、自立プログラム、機関紙の発行~、自立生活ホーム「トークハイム」の運営、リフト付きハンディキャブ運行事業等、多岐にわたる事業が、障害者団体と行政に協力関係の中で先駆的に取り組まれてきました。個々の障害者団体も福祉作業所の運営、グループホームの運営、手話講習会や清掃業務による通所訓練事業等、こちらも多岐にわたり取り組まれています。量的にはまだ満足すべきレベルにないとはいえ、官民がそれぞれの役割やノウハウを活用して築いてきた実績が、今後の改革の原動力になるものと期待されます。

そこで私たちは、この大転換期にあって、障害者の地域自立と社会参加のより一層の充実を図ることの重要性を痛感しています。今後は従来のような障害種別による個別対応や運動よりも障害者のライフスタイルに応じた総合的な取り組みができる組織、事業体が必要になってきます。そのためには、障害当事者の知恵と経験を活かすとともに民間団体ならではのパイオニア精神と行動力を持った新たな推進体制が求められています。つまり、既存の団体や運動組織から独立した、公共性、公益性が高い組織を新宿区の中に新たに立ち上げることが必要なのです。

そこで、私たちは社会福祉事業の実施主体として社会的な評価と信用が定着している法人である社会福祉法人を設立して、障害者団体連絡協議会の事業部が行っている事業を社会福祉法人の事業に移管して、継続的かつ安定的な事業展開を図り、この改革に積極的に参画していくことをここに決意しました。」  (2001年1月20日、法人の設立記念式典にて)

 

法人設立時の役員(理事者)

理事長  : 志萱 正男 (元新宿区助役、元新宿区障害者就労福祉センター理事長)

副理事長 : 二宮 信男 (元新宿区教育員会次長、元新宿区社会福祉協議会事務局長)

常務理事 : 天方 宏純 (新宿ふれあいの会会長)

理   事 : 井口 要  (新宿区障害者団体連絡協議会会長)

理   事 : 大崎 秀夫 (新宿区町会連合会会長)

理   事 : 鈴木 勝  (医療法人社団・徳明会会長)

理   事 : 田鍋 勝利 (新宿区肢体不自由児者父母の会会長)

理   事 : 本間 生代 (新宿区手をつなぐ親の会会長)

理   事 : 時任 基清 (新宿区視力障害者協会相談役)

理   事 : 広瀬 愛  (新宿西共同作業所所長)

理   事 : 矢沢 正春 (新宿区障害者就労福祉センター事務局長)

理   事 : 今井 康之 (新宿区障害者福祉協会職員)

 

「あゆみの家の民営化」にあゆみの父母会が反対をしていた中で、民間委託業者として新障協が何故、名乗りを上げたのか。また、今日ではノーマライゼーションは「インクルージョン」に、地域福祉は「地域共生」に言い換えられることが多くなっていますが、その話は次回に…。

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