「新宿区立障害者福祉センター」が開所して、身体障害者の通所作業所「あすなろ作業所」がセンター内に移転。あゆみの家の成人部から5名が移籍した。あゆみの家では通所者の重度化が進んできたことを反映して、保護者教室でも「介護予防体操」や福祉機器の活用をテーマにした勉強会を行う。翌年には「ボランティア受け入れ窓口」を開設した。
「障害者福祉センター」は、正式名を「身体障害者福祉センターB型」といい、東京23区で14番目の開所でした。この施設を全国展開する狙いを当時の厚生省は、「近年、障害者は施設よりも地域で生活したいというニーズが強くなっていることから、在宅福祉の推進のために国際障害者年から全国的に設置に努めている」と説明していました。また、1986年(昭和61年)には「新宿区障害者団体連絡協議会」(通称:「障団連」)が設立されました。国際障害者年を契機に区内の団体が、①当事者参加の福祉の推進、②住み慣れた地域での自立生活、③教育や住居・職業等の権利の保障を目指して連携を進めるために、発足時は6団体、10年後には17団体が加盟する協議会となりました。後年、障団連の運動から「新宿区障害者就労福祉センター」(現在の新宿区勤労者・仕事支援センター)や、「社会福祉法人・障害者福祉協会」が設立されました。